
神戸電鉄の起点は湊川ですが、全列車が地下駅の新開地から出発します。新開地〜湊川間は神戸高速鉄道南北線として、1968年に開業。同じく神戸高速(東西線)に乗り入れる阪神・阪急・山陽と接続しています。ただし、3社とは軌道幅の異なる神戸電鉄は、行き止まり式ホームで孤立しています。4ホーム3線の駅からは、ラッシュ時ともなるとひっきりなしに電車が出入りします。
ホーム手前には電光掲示板があり、発順が表示される 
新開地からわずか400mほど走って湊川(0)。神戸市営地下鉄の湊川公園駅と接続しています。
湊川を出るとまもなく地上へ出、ここからが登山電車の本領発揮。ぐんぐんと坂を登り、長田へ。湊川から2km弱ですでに標高は70m。95年1月の阪神大震災の際には、新開地〜長田間が不通になり、6月まで長田折り返しが続きました。ちなみに、神戸高速・地下鉄にも「長田」駅がありますが、この長田とは全く別の場所で紛らわしい。そのため、アナウンスや駅名標では、「しんてつながた」となっています。
立ちふさがる山のすそを大きくカーブしながら、丸山(95),鵯越(ひよどりごえ)(134)とさらに登って行きます。鵯越といえば、源義経が馬で駆け下りたことが武勇伝になるくらいの険しい地形ですが、そんな急斜面に沿って谷間に民家が建ち並んでいます。
住宅群が山すそに張り付くように立ち並ぶ 
鵯越から2つのトンネルを抜けると、人里離れた山の中へ。そんなところに位置した菊水山駅は、主にハイキング客向けの駅でしたが、利用の減少と合理化の流れで、2005年3月25日をもって営業休止しました。ここから先、以前は線路が谷に沿っており、なかなかの絶景でしたが、ダムの建設に伴って付け替えとなり、現在は対岸側の山の中を長いトンネルで通り抜けます。
休止前の菊水山駅ホーム 
トンネルを出ると右手に車庫が現れ、急に街がひらけてきます。車庫への引き込み線としばらく併走して、鈴蘭台に着。駅前には大型店舗もあります。標高278m。湊川〜鈴蘭台間7.5kmの平均勾配は、なんと約37パーミルということになります。

鈴蘭台より、単線の粟生線が大きく左へカーブして分かれて行き、有馬線のほうは直進してゆきます。さらに登り勾配で住宅地の中を進み、北鈴蘭台(346)は1970年開業、有馬線では最も新しい駅。
斜面に広がる宅地の中、山の街(316)、箕谷(238)へと、大きくカーブを描きながら、急勾配を下ってゆきます。山田川のなす谷まで下り、ここからは裏六甲を東進してゆきます。
民家の間を急勾配、急カーブを描いて進む 
谷上の手前で列車はトンネルに入ります。谷上駅前後の区間は、1988年の北神急行開業にあわせて線路がつけかえられました。以前の線路は現在のトンネル入り口手前から左にカーブし、現谷上駅の北側にあった旧谷上駅に向かっていました。その跡は県道(通称有馬街道)に吸収されています。
トンネルを出ると、南側に北神急行の線路が沿い、周囲が急に開けて谷上(234)に着きます。北神急行開業に合わせて移転新築された高架駅で、そびえ立つ駅ビルを合計3本のホームが突き抜ける偉観は、神戸電鉄絶頂期の象徴ともいえるでしょう。
1988年春、新駅開業当時の様子。手前は旧駅 
それから15年(2003年)。旧駅跡地は県道に取り込まれて跡形もない 
北神エリアの右肩上がりの発展を期待して、神戸中心部へのバイパス路線とすべく、六甲山を貫いて開業した北神急行でしたが、利用は思うように伸びず、また神鉄のほうも2面4線の設備をもてあましてしまい、結局神鉄4番線をつぶして3番ホームを北神急行5番線に接するよう拡張。2001年6月から同一ホームでの乗り換えを実施し、利用の促進を図っています。
そんな谷上を出ると再び登り勾配にかかり、有馬街道と交わりながら、谷を駆け上がってゆきます。南側に大規模な住宅地が広がって花山(281)、さらに六甲山麓のニュータウン群を見ながら大池(350)へ。ここが分水嶺となり、加古川水系から武庫川水系へと移ります。つまりあとは三田方面へとひらけてゆくわけです。
花山駅付近から谷上方を望む。急勾配の連続する区間 
坂を下りながら短い間隔で神鉄六甲(323)、唐櫃台(309)へと進みます。神鉄六甲はかつては「六甲登山口」を名乗っていました。唐櫃台駅の近くには最近、「天然温泉 からとの湯」という施設ができました。
そして谷間を進んで有馬口(293)へ。有馬線と三田線との接点で、2面4線を有していますが、ホームや駅舎は旧態依然。改築以前の谷上などもこんな雰囲気だったのです。
有馬線列車の大半はここから三田線へと入ってゆき、残る有馬口〜有馬温泉間1区間は、ワンマン列車のピストン運転が主体となります。なお、下の写真のポイント部では、2006年1月と2月に脱線事故が発生しました。ほぼ同地点での立て続けの事故だっただけに、問題となりました。事故後、有馬口駅は改良工事が行われ、現在ではホームもあかぬけた風になっています。
谷間のジャンクション、有馬口 
新開地からここまで、ずっと複線でしたが、有馬口の先で分岐する三田線・有馬線ともに単線の貧弱な線路となります。右へ大きくカーブして三田線と分かれると、列車は人里離れた林の中を進んでゆきます。ここまで新旧の宅地を進んできた有馬線も、最後は「秘境の温泉地」に入ってゆく雰囲気です。とはいえ途中には、阪神高速の有馬口ICが野山を切り裂くかのように出現します。
最後にくぐるトンネルの手前には、「新有馬」という駅がありました。一帯は森林で、もともと駅としてはほとんど機能しておらず、周辺の開発を見込んで籍だけを置いていたようです。1975年に休止となり、今やその跡も朽ち果ててしまっています。
トンネルを抜けると温泉街がひらけ、終点有馬温泉の行き止まりホームに到着。標高357mは、神戸電鉄の最高地。かつては昭和初期築のコンクリート製の駅舎でしたが、鏡張りの近代的な駅舎に建て替えられ、「近畿の駅百選」にも選ばれています。駅からさらに奥の温泉街へ、人や車の往来が盛んです。
温泉地への玄関口となる終点の駅、有馬温泉 

三田線の起点は有馬口(293)。籍上は三田線が有馬線から分岐する格好ですが、現状はほとんどの列車が新開地方面と三田方面とを直通し、有馬口〜有馬温泉間のほうが枝線の扱いです。
有馬口を出ると、単線で右に曲がる有馬線に対し、三田線は同じく単線で左に向かいます。五社までは人里離れた谷あいを進みます。
五社(259)を出て、トンネルをくぐると、谷が一気に広がります。ここからの景色の豹変ぶりは、初めて来た人には驚きでしょう。突如、大規模な新興住宅地が出現し、ローカル然とした線路が一転、複線分の幅の高架にかかります。そして岡場(221)へ。高架のホームに4本の線路、島式ホーム2本という、神鉄最大クラスの規模の駅で、駅周辺には大型店舗が連なります。新旧の住宅地が連なる神鉄沿線ですが、駅や駅前広場はこぢんまりしたところが多く、この岡場ほどに「街の玄関」としてひらけた駅は、ほかにありません。
次の田尾寺(201)までは複線。高架から地上に降り、住宅地のへりを進みます。しかしここからは再び旧態依然の単線線路に。昔ながらの農村地を、二郎(176)、そして道場南口へと進みます。平地部の農村と、高台に立ち並ぶ住宅地の見事なまでの好対照ぶり。三田線の性格をあらわす象徴的な風景です。
農村地を走る区間では、線路もローカル風(田尾寺〜二郎)
道場南口の手前に、第三車庫があります。三田線・公園都市線の発展を見込んで造ったと思われますが、三田線複線化が遅々として進まない現状では本数増が望めず、この車庫もせっかく完成しながら、日の目を見ない状態が続いています。
かつては、道場南口(169)〜三田間は3両が限界だったため、道場南口で乗換えを要していました。1991年に三田まで4連が入れるようになり、この乗り換えは解消されましたが、道場南口駅の構造にその名残があります。つい十数年前の三田線は、そのような線だったのです。
道場南口〜神鉄道場間にて。単線だが、電車は結構スピードを出す 
次は神鉄道場(164)。ここも西側の高台に住宅地があり、駅は近代的な橋上駅となっています。そのさい、将来の複線化に備えて、ホームは島式になっています。
神鉄道場〜横山間は、現在複線化工事中ということになっています。しかし、神鉄道場を出てすぐの左手のり面を削る工事が行われて以降、進められている様子がありません。この調子では、三田線全体の複線化などいつになるやら…。
三田市に入り、トンネルから出てきた公園都市線の線路が左側から合流してきて、横山(172)に。
横山駅。島式ホームをまたぐ橋上駅 
ここから終点三田までは、複線となり、公園都市線の列車も直通します。三田の市街地に入り、三田本町(146)を過ぎると、武庫川を渡り、左へ大きくカーブして三田(146)へ。三田ではJR福知山線と接続していますが、近代的な橋上駅となったJR駅に対して、神鉄駅は昔ながらの小さな駅舎です。駅前ロータリー上に歩道橋が設置され、神鉄駅はますます埋没した感です。
三田手前で武庫川を渡る 

鈴蘭台(278)から、複線で直進する有馬線に対し、三木・小野方面へ続く粟生線は単線となり、脇道に入るように大きく左にカーブし、急勾配を駆け上がります。短いトンネルをくぐり、鈴蘭台西口(304)が粟生線のピークになります。
下りにかかり、民家の間を縫うように走ると、すぐ西鈴蘭台(290)。1970年開業、粟生線では最新の駅で、近辺にはニュータウンが広がり、乗降が多い。折り返し列車のための行き止まり線が2本ありましたが、2001年6月改正と同時に廃されてしまい、現在では駐車場となっています。
西鈴蘭台を出ると、再び山の中へ入り、しばらくは住宅地を離れます。次の藍那(あいな)(219)まで1区間だけが複線。藍那から川池信号場にかけての2kmほどの区間は、藍那側から複線化の路盤整備工事が行われていましたが、震災以後凍結状態に。川池の手前数百メートルを残して、休止しています。
造成済みの区間は、いつでも線路の引ける状態のまま放置 
川池から再び複線となり、明石川の谷まで下って木津(138)。もともと、谷あいの集落の一角に位置するホームだけの無人駅でしたが、近くに工業団地開発が進み、それに合わせて橋上駅化されました。木津を出るとまもなく右手に神鉄の第二車庫が現れます。
川池信号場から複線となり、木津へ向けて下ってゆく 
木幡(119)あたりからは谷がひらけて、神戸のベッドタウンとして近年開発が進んだ新興住宅地が左手に広がり、昔ながらの農地と混在する光景が続きます。栄(108)、押部谷(98)までは、比較的平坦でまっすぐな線路で、神鉄の中では数少ない、「スピードの出せる区間」です。
栄駅付近にて。粟生線で最も整備された区間 
複線区間は押部谷で尽き、これより先は終点粟生まで単線。再び貧弱な線路となって急坂にさしかかり、登り詰めると神戸市から三木市に移って緑が丘(157)。その名の通り「緑が丘」という住宅地の玄関口で、駅前はひらけています。
緑が丘を出るとすぐ広野ゴルフ場前(150)。そもそも粟生線は、1936年に鈴蘭台〜広野ゴルフ場前間が最初に開業しました。由緒あるゴルフ場で、そのために線路が引かれたわけです。その次の志染(しじみ)(128)まではまっすぐな線路、希少な「70キロ区間」で、右手に住宅地が続きます。志染駅前も比較的ひらけています。
新開地〜志染間には最高5両編成が入りますが、志染より先は3両が限界でした。そのため、ラッシュ時には志染で2両の増結・開放、日中はほぼ2本に1本が志染乗り換えとなっていました。しかし01年6月改正で志染より先が4連化され、粟生線のほとんどの列車は4連または3連の直通運転に代わりました。現在、志染は粟生線内で唯一の駅員常駐駅となっています。

志染を出ると、神戸の通勤圏から東播磨エリアに移ってきます。急勾配を下り、今度は美嚢川(みのかわ)水系の低地へと下って恵比須(61)。駅舎が建て替えられ、三木市の新たな中核駅として整備が進められつつあります。駅前からは、粟生線のライバルである三ノ宮行きの快速バスや、三木鉄道代替の厄神行きバス、三木市のコミュニティバス「みっきぃバス」が発着します。
「近畿の駅百選」にも選ばれた、新恵比須駅舎 
次の三木上の丸(46)は、小高い三木城跡のふもとに位置します。三木城は、戦国末期に羽柴(豊臣)秀吉の2年近い兵糧攻めによって滅んだ別所氏の居城でした。上の丸を過ぎるとすぐに美嚢川を渡ります。左に大きくカーブしながら勾配を下るという、全国でも珍しいという形態の鉄橋です。
上の丸方から、美嚢川上をカーブしながら下ってくる電車 
三木駅(36)は市街地に近く、利用者もけっこう多い。それでも、自動改札化に伴って無人化してしまいました。志染〜粟生間の4連対応化の際、ホーム延長のスペースを確保するために構内踏切を廃し、上りホーム側に新たに改札が設けられました。国鉄から第三セクター化された三木鉄道(三木〜厄神 2008年3月廃止)の三木駅は神鉄駅から離れており(徒歩10分ほど)、接続は図られていませんでした。ちなみに三木は、金物の町として有名。
三木を出ると、住宅の合間や田んぼの中を進んで、大村(44)。ここからもうひと山越え、山陽自動車道の高架の下をくぐるあたりで三木市から小野市に移ります。坂を下り、樫山(42)は竹林に囲まれローカル然とした交換可能駅。加古川流域の平野部に出て、市場(30)は無人駅。車両搬入のためのスペースがあります。JR加古川線にも同名駅がありますが、距離は離れています。
粟生線の旅も大詰めです。河岸段丘へと駆け上がって小野(46)へ。3階建ての駅ビル併設の橋上駅は、91年ごろに建て替えられたもので、それまでは小さいながらも味のある木造駅舎でした。段丘上にひらけた小野の街は、そろばんの町として有名です。日中の列車の2本に1本は小野で折り返しとなり、残る小野〜粟生間は30分間隔での運転となります。
小野はりっぱな駅になったが、今は無人駅・・・ 
最後まで起伏の激しい粟生線は、小野を過ぎるとすぐまた加古川流域に下り、葉多(34)へ。加古川を渡ると右へ大きくカーブしてJR加古川線に沿い、そのまま終点粟生(27)に入ります。JR・北条鉄道と接続していますが、線路のつながりはありません。神戸から、野を越え山越え谷越えて1時間強。閑静なローカル駅の片隅で、その旅は終わりを迎えます。

※ もともと神戸電鉄は加古川線上り(2番線)とホームを共用していましたが、自動改札を導入するにあたって、その向かいに新たにホームを設け、自動改札を通って加古川線側に出入りする方式になりました。加古川線下り(1番線)や北条鉄道(3番線)との乗り換えの際は、跨線橋を渡ることになります。
乗降は左側ホームで行う 