2004年12月の電化に伴い、加古川線に投入された新造電車。
2003年春、小浜線電化に伴って、JR西日本では初めて単行運転できる新造車として登場した125系。ステンレスボディ、転換クロスシートで、通路やトイレを広く確保したバリアフリー設計。223系の車体やシステムを流用しており、性能・内装とも高い水準です。加古川線には4両が導入され、座席は2列-1列配置。窓ガラスは最近の223系増備車などど同様の、緑がかったタイプです。
日中の列車を中心に、主に単行で運用されます。西脇市〜谷川間は通常、終日125系の単行で運転。

ボディも足回りもピカピカの125系単行。走りは軽快

車内の様子。左手前の出っ張りは身障者対応トイレ
電化に伴い、さらに16両の103系が編入されました。内外ともに大幅にリニューアルされ、トイレが設置されました。編成単位は2両。運転席に貫通扉が設けられ、2+2の4両でもワンマン運転ができるようになっています。
車体は電化前の気動車と同じ深緑色ですが、前面のデザインは125系にあわせられています。ラッシュ時の列車を中心に、日中の列車にも使用されています。
電化を記念して、西脇市出身の美術家 横尾忠則氏のデザインによるラッピング電車も登場。現在、4種類があります。

リニューアルされて垢抜けた雰囲気の103系。2連が基本

ラッピング電車「見る見る速い」と「銀河の旅」が一堂に会す

さらに増えるラッピング電車シリーズ
電化開業まで加古川線で運用されていたのは、単行用のキハ40、または2連用のキハ47で、全車ワンマン運転対応でした。西脇市〜谷川間の列車すべて、および日中の加古川〜西脇市間の列車の多くはキハ40の単行運転でした。

昼間のキハ40単行

キハ40 車内の様子
特殊ペイント車両として、「きょうりゅう号」「せいりゅう号」がありましたが、2003年に消滅しました。

車体に恐竜ペイントの施された「きょうりゅう号」 ペイント以外には特色なし
01.10 西脇市

同じくペイントされた「せいりゅう号」
02.12 河合西
キハ47は、比較的利用の多い加古川寄りの区間で使用されることが多く、ラッシュ時にはキハ40と47の組み合わせで、3〜4両の編成が組まれることもありました。

キハ47の2連
以前は、ワンマン運転対応車両は区別のために、ドア部がオレンジ色に塗り分けられていました。この塗り分けは、加古川線の全車両がワンマン対応化したことに伴って廃止されました。

ドア部オレンジ色の単行キハ40 厄神にて
2003年春以降、加古川鉄道部と、姫新線姫路口を受け持つ姫路鉄道部との間で、一部車両の交換が行なわれました。加古川線電化を控え、車両の検査時期との兼ね合いで動かしていたようです。これにより、電化直前まで姫新線カラーのキハ47,40が加古川線を走る姿が見られました。

完成間近の加古川駅高架をバックに。姫新線カラーのキハ47
国鉄時代の加古川線には、キハ22、23や、通勤形の気動車キハ30、35といった、今ではほぼ姿を消した形式の気動車が走っていました。地方色全盛を迎える民営化ごろまで、ローカル気動車のほとんどが、朱色一色の車体でした。
このうち、私の手元に写真の残るキハ35は、食パン形で両開き3扉(この扉が外に出っ張っていたのが特徴的だった)、ロングシートという、「103系の気動車版」ともいえる車両でした。その両運転台版がキハ30で、90年に廃止になった鍛冶屋線の市原駅跡と鍛冶屋駅跡に保存されています。なお、キハ35が西日本で最後まで残ったのが和田岬線で、同線の通勤輸送に特化していましたが、同線の電化に伴い引退。現在営業用に残るのは、千葉の久留里線のみとなっています。

改装前のローカル然とした雰囲気の厄神に入線するキハ35
85年

旧鍛冶屋線市原駅前に保存されているキハ30
変り種としては、キハ37という車両もいました。国鉄末期の1983年登場。独特な顔つきと、2両編成にしたときに間隔が均等になるドア配置などに特徴がありました。その後のローカル気動車のあり方を模索する試作車としての意味合いが強く、全国で5両しか造られませんでした。この時代の車両らしく、廃品の流用も多いとのこと。5両中2両が加古川線に配属されました。
加古川線を離れたのち、山陰の境線に移ったものの、その中途半端な構造が災いしてか、現在では休車状態になっているもよう。残る3両は、やはり久留里線で活躍を続けています。

キハ37。85年 加古川にて

個性的な顔つきのキハ37。99年、西脇市にて