歴史

  播州鉄道(のち播丹鉄道と改称)により、1913(大正2)年に加古川から今の厄神まで開業し、1924(大正13)年に谷川まで全通。1943(昭和18)年に国有化。

  加古川方で山陽線(JR神戸線)、谷川方で福知山線と接続しており、一応陰陽連絡線の形をとってはいるものの、幹線として機能した実績はなく、4つの枝線(高砂線・三木線・北条線・鍛冶屋線)とともに、東播磨地区のローカル輸送に専念してきました。国鉄末期〜JR初期に枝線がすべて廃止または第三セクター化され、JR線としては加古川線1本だけが残されました。

  1995年の阪神大震災で阪神間の交通が分断された際には、播但線・福知山線と共に迂回ルートの1つとなりました。その実績が買われてか、「代替ルートの確保」という名目で電化されることとなり、2004年12月19日に電化開業。

 路線概要

  加古川〜谷川間48.5kmは全線単線。加古川沿いの平野部を進むため、トンネルが1つもありません。途中、小野市、滝野町、西脇市などを結びますが、いずれも中心地から離れて走っているのがハンデとなっています。

  粟生(あお)で北条鉄道(粟生〜北条町:旧国鉄北条線)と神戸電鉄粟生線が接続しています。厄神で接続していた三木鉄道(厄神〜三木:旧国鉄三木線)は、2008年3月をもって廃止されました。鍛冶屋線(野村[現西脇市]〜西脇〜鍛冶屋)があった時代に、西脇駅が運用の拠点になっていた名残で、今も西脇市でダイヤがほぼ分断されています。

  1989年から西脇市〜谷川間でワンマン運転が始まるなど、早くから合理化が進められましたが、2001年春改正では列車の本数が大幅に減らされた上に、第四土曜は保線作業のために日中の列車が運休するようになってしまいました。

 車両概要

  2004年末の電化により、ワンマン化改造された103系、および新造の125系が走るようになりました。

  電化前には深緑色に白ラインのキハ40,47が在籍し、通常は1〜2両でワンマン運転していました。かつては通勤形気動車キハ35や、日本に5両しかないというキハ37も走っていました。

 

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